生家
葬儀で思った。生家の人たち。まともに葬儀に顔を出す人は一人もいない。全くの赤の他人が無くなったとしか思っていないのだろう。「恩を仇で返す」ようなもの。
昭和20年代の生家は完全に行き詰っていた。多くの子供がいるのに稼ぎが殆ど無い。馬鹿な主は食い扶持を減らせれば子供を外に出すのをなんとも思わなかった。嫌、家族を救うために犠牲者を作っても構わないと思ったのだろう。
生家から一人の子供が外に出された。子供は十字架を打ち付けられたように生きて行くしかなかった。
生家は犠牲者を出したが、それでもぎりぎりの生活は続いた。主は太平洋側の大都市への出稼ぎを続けた。運よく残った子供たちも決して楽ではなかったが、それでも犠牲者を新たに出さないで済んだ。かろうじて子供たちは学齢期を終えることが出来た。一人ひとりが働き手になって行くことで生家の危機は回避できた。その間、家は故郷の町を捨てて、東京の下町に移り住んでいた。
兄弟の一人を犠牲にしているにも関わらず、生家の人間は自分のことしか考えていない。というより自分のこともまともに考えていない。
長男は自立する気配は無かった。子供の頃に自分の書いた絵が天皇陛下に褒められたのが逆に仇になった。かすかな記憶だが、赤い朱印が押されたのを見たように思う。その誇りが進学も儘なら無い中、仕事に付くこともしないで、絵を描いていた。兄弟の犠牲を踏み台にして趣味をやっているんだ。
故郷を夜逃げ同然で出て行く時の長男の年齢は既に24歳。母親に甘えるだけで、今で言えば精神的な病気になっていた。いつしかカメラの万引きに手を染める。質屋にながして小遣いを得る。絵の誇りはカメラ好きに変わり、万引きを卒業して、漸く結婚式場の写真撮影のアルバイトにありつく。写真からビデオへと移って少しはキャッシュを手に出来るようになる。
長男が40歳を越えた頃、頼りの母親は命を引き取る。自立への圧力たかり、生活力が出来たかというとそうではない。実質的に父親の世話になっている。
長男も、既に70歳を過ぎて、今は都へ生活保護の申請をしている。
子供の頃は一番えらかったし、自分だけ専用の部屋を貰っていたし、王様だった。何故、堕落した人生を進めたのかは知らない。誰もかも踏み台にして、自分のことしか考えない。
この男は日頃から感謝も何も無い。犠牲になった弟を思いやることも出来ない。弟を預かった先に感謝を述べることも無い。
その恩人が亡くなっても、悔やみ一つも言えない。
こんな男を生かすために、弟は犠牲になったの。馬鹿げている。
過去 30 日間
-
母の思い出に出てくる人はみんな死んでしまった 。 みんな死んでしまった 母を思い出すと一緒に思い出す人がいる。その人たちは思い出そうとすると、もうみんな死んでしまっているだろう。 / 森本のおんちゃん。森本のおばちゃん。 吉田さん。全く顔も思い出せな...
-
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...
-
写真は全く別物・イメージも違います。 茄子の入った煮もの 子供のころ。何処かの墓参りに連れられて行った。場所が思い出せない。どこからバスに乗ったかもわからない。 夏の太陽の下を、畑の道を歩いた記憶。 きっと墓参り。 墓参りの跡と思うが、家に上がって食事。...
-
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
-
亡き母への贈り物 贈り物は母の日でもいい。母の命日でもいい。母の誕生日でもいい。感謝の気持ちを表したいならいつでもいい。 生きている母に感謝を伝えることが一番だけど、いつかそれが出来なくなる。 心の母に感謝を伝えよう。 ※ 花を飾る。 美味しいものを食...
-
日曜日の連絡。それ以前から、排尿の量がどんどん減ってきていて、点滴が殆どむくみに回っていたと思うが、更に排尿が悪くなっていった。田舎からの連絡では、持って今週いっぱいの観測が看護婦さんから示されたとのこと。
-
正善寺からいきなり手紙が舞い込む。 説法の案内。これはどうってことない。しかし、ご近所お誘い合わせて行ける訳無いでしょう。 永代経法要の意味と称する説明書き。これもどうってことない。 運営資金納入依頼が入っているのは驚いた。しかも書き方が未納となっていると去年のことを書いている。...
-
思い出すことが供養 その人を思い出すことがその人への供養。そう思う。 その人が亡くなっていたら供養。 まだ生きていたら感謝。 誰を慰めるのか。何が未練なのか。 二度と会うことはないと思えば、恨みも怒りもない。 / 命日と誕生日と。 **
-
お盆が過ぎて、今日はとても涼しい。マル君が逝ってから丁度1週間。1週間、耐える手段があれば、今年の夏を越せたかもしれない。暑さだけが理由で無いかもしれないが、恨みが残る涼しさです。
-
美枝子姉が伝えたこと。生家の不義理に腹を立てて手紙を書いたら世間を狭くしたと返してきた。本当の意図は分からないが、状況から見て適当な言葉選びでない。 恩人の葬儀、身内の葬儀に顔も出さない、挨拶もしない連中こそ世間を狭くしている。 もっと以前に、自分の子供を外に出すことで十分に...
過去 365 日間
-
母の思い出に出てくる人はみんな死んでしまった 。 みんな死んでしまった 母を思い出すと一緒に思い出す人がいる。その人たちは思い出そうとすると、もうみんな死んでしまっているだろう。 / 森本のおんちゃん。森本のおばちゃん。 吉田さん。全く顔も思い出せな...
-
写真は全く別物・イメージも違います。 茄子の入った煮もの 子供のころ。何処かの墓参りに連れられて行った。場所が思い出せない。どこからバスに乗ったかもわからない。 夏の太陽の下を、畑の道を歩いた記憶。 きっと墓参り。 墓参りの跡と思うが、家に上がって食事。...
-
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
-
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...
-
このサイトは何時から公開の設定になっていたのかな。履歴を見ると、2年前の9月。 コンテンツには若干個人情報の類が残っている。 若干、本人の名誉を損ねない程度に修正する必要がありそうだ。 / お盆の季節になった。 今年も、思い出して、懐かしんで、感謝して、供養にします。 / はな子...
-
白いカーネーション 母の日 5月10日。 感謝が足りない。 ※ 母の日のプレゼント 。 亡き母に贈るものはなんだろう。 誰にも母はいるけど、誰もが母を失う日が来る。 分かっているのに何もしない自分が情けない。いつまでも母親を必要としている未...
-
思い出すことが供養 その人を思い出すことがその人への供養。そう思う。 その人が亡くなっていたら供養。 まだ生きていたら感謝。 誰を慰めるのか。何が未練なのか。 二度と会うことはないと思えば、恨みも怒りもない。 / 命日と誕生日と。 **
-
散歩となると、なんとか、自分の行きたい方向へ行こうと、いつもチャンスを窺っているようで、リードの緩め方で、ダッシュが始まる。気の向かない方向だと、嫌々をする。 ある程度、行ってしまえば、あまり抵抗しなくなる。 疲れてくると、今度は帰りの方向に向かう。ところが、マルが帰る方向と思っ...
-
カレンダーに外出の予定を記録していた。マル君の面倒が見れないから、日程を組むときに配慮してもらおうとの算段だった。お散歩を一定のインターバルでやらないとマルが困るから。でも、もう、その必要が無くなった。寂しいけど。
-
8月8日。マルが呼吸を止めて家の中の空気はその瞬間に張りついたままだが、世間のときの刻みは止まらない。
Popular Posts
-
写真は全く別物・イメージも違います。 茄子の入った煮もの 子供のころ。何処かの墓参りに連れられて行った。場所が思い出せない。どこからバスに乗ったかもわからない。 夏の太陽の下を、畑の道を歩いた記憶。 きっと墓参り。 墓参りの跡と思うが、家に上がって食事。...
-
母の思い出に出てくる人はみんな死んでしまった 。 みんな死んでしまった 母を思い出すと一緒に思い出す人がいる。その人たちは思い出そうとすると、もうみんな死んでしまっているだろう。 / 森本のおんちゃん。森本のおばちゃん。 吉田さん。全く顔も思い出せな...
-
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
-
白いカーネーション 母の日 5月10日。 感謝が足りない。 ※ 母の日のプレゼント 。 亡き母に贈るものはなんだろう。 誰にも母はいるけど、誰もが母を失う日が来る。 分かっているのに何もしない自分が情けない。いつまでも母親を必要としている未...
-
亡き母への贈り物 贈り物は母の日でもいい。母の命日でもいい。母の誕生日でもいい。感謝の気持ちを表したいならいつでもいい。 生きている母に感謝を伝えることが一番だけど、いつかそれが出来なくなる。 心の母に感謝を伝えよう。 ※ 花を飾る。 美味しいものを食...
-
はな子の一周忌 1年は早い。まあ、1年は1年でしかないけど。墓はまだ作っていないが、また法事の季節。福井へ帰ってやるのも一つだが、実はあまり付き合いたくない正善寺の世話になるのは避けたかった。福井で正善寺以外でやるとややこしい。こちらはそんな気はないが、向こうは檀家だと思ってい...
-
思い出すことが供養 その人を思い出すことがその人への供養。そう思う。 その人が亡くなっていたら供養。 まだ生きていたら感謝。 誰を慰めるのか。何が未練なのか。 二度と会うことはないと思えば、恨みも怒りもない。 / 命日と誕生日と。 **
-
還暦を迎えて 還暦の日、家人も子供も何も言ってこない。今までの誕生日だって殆ど無視されている。家人が音頭を取るようなことも子どもが気遣いをすることもない。 自分が親の還暦に何かしたことも無い。だから「鏡の法則」だね。自分で理由をつけて親を祝うことを拒否してきたのだろう。何せ、親は...
-
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...
-
このサイトは何時から公開の設定になっていたのかな。履歴を見ると、2年前の9月。 コンテンツには若干個人情報の類が残っている。 若干、本人の名誉を損ねない程度に修正する必要がありそうだ。 / お盆の季節になった。 今年も、思い出して、懐かしんで、感謝して、供養にします。 / はな子...