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霞町の家

霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。

震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。

福井震災(福井自身)は昭和23年6月と記録があるから、その1,2ヵ月後の仕事だったのではないだろうか。

新たに作ったものか以前のもの立て直したのかは分からないが、甚吉がなす工作の一つ一つに友治が注文をつけていて、「はな子」は大いに困ったと後で話をしていた。友治が注文したことが功を奏したかどうか、その貧しい家は21世紀まで生き延びた。

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