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生家没落の理由

既に幾つか分析してきた。
  1. 敗走して東京へ逃げるまで。
  2. 東京で建て直しが出来ないまま今日に至るまで。

「寅雄の最初の過ち」

  • 祖父が確立した地場の信用を全く継承しようとしなかった。
  • 出稼ぎに走る寅雄。急場しのぎでなく常態化した。お気楽大工稼業。その究極の姿が東京への引越し。
  • 家にいないのだから、家の中が纏まることは無い。子供たちをリードすることもできない。
  • 気楽なシングルライフの出稼ぎ。自分ひとりのことしか考えていない。子供の成長、生き方を考えていない。
  • 田舎は仕事が無いといっても全ての大工が出稼ぎに出ていたわけではない。

「敏夫の不明不徳あるいは無知無能」

  • 戦争で手に負傷した父親、家にいない父親、経済的に行き詰っている家計。これを見て、中学時代を送った長男はどういう志しを抱いたか。
  • 中学時代に何を考えていたかは不明だが、卒業後に何をやっていたかで、器量の小ささがはっきりする。
  • 夜逃げ同然になっているときでも油絵がどうのとやっているんだから、どんな親も救われない。
  • 馬鹿な、愚かな父親を見て奮い立つのが普通なのに、この男は輪を掛けて愚かと来ている。生家の身代が潰れて行くのを指をくわえて見ていただけの最低の男。

「雇われ大工根性から抜け出せない寅雄」

  • 泰義の勉学も犠牲にし、英雄、政行も引き入れて、大工の稼業の体制は整いつつあったが、チームとしてのマネジメントは出来ない。泰義をリーダーに立てる根性も無い。
  • 敏夫は放置したまま。
  • 美枝子の結婚には心を砕かない。
  • 信幸の教育費の面倒も見ない。
  • やっているのは相変わらず、雇われの大工。抜けない奉公人根性。
  • 根性はサラリーマンと同じ。そのくせ、稼業みたいにして子供に教育機会を与えない。

「生涯居候を決め込む敏夫」

  • 母親に甘えているが、結局は父親も甘やかしてきたのだ。何もしないで家にいる。それを何十年も許している。
  • 母親が死んでからは兄弟の前に顔を出すことも出来なくなった。
  • 東京に移ってからの敏夫は腑抜けと同じ。環境が変わって考え方が変わるかと思えば一日中流しにたって手を洗っている始末。他の子供らがまともに育ちようが無い。

寅雄と敏夫は同罪か。少なくとも、愚かでも寅雄は家族に飯は食わせてきた。それも相当高齢になるまで。敏夫はまだ何もやっていない。今でも言い訳しながら生きている。東京都の生活保護を申請しているらしい。死ぬまで自分で自分を食わせることが出来ない。虚弱児でもなんでもないのに。

敏夫がまともとして、生家は持ったか。寅雄の雇われ根性のままだったら、そのくせ家では王様で振舞ったら、結局、俊夫も泰義のように家を出るしかなかったかもしれない。

敏夫のアホ振りは巣食いようが無いが、寅雄の家督委譲もしない、守ることもしない、その無能ぶりは最悪。

一番、まともに見える泰義はどうか。あの親爺では話が成立しないだろう。一家を仕切る気が芋感じられない。女房の知りに敷かれているだけでは所詮先は見えている。

家の誇りの再興は、ゼロからのスタートだ。寅雄が潰してしまった身代の再興に当たって、家督たるものは何か。まさか、桶屋で始める訳でもあるまい。木工!。

年賦

 
 年賦はダウンロードして印刷でもしないと見えないかもしれない。 
 これを書いてみたら、「家」を没落させて行く様子が良く分かる。

決別の時

薄情で、だから子供らが没落の犠牲になったことに何の反省も示さず、身勝手に、生きて死んで、後は野となれ山となれ。そんな父親。時間は取り返せない。けじめもつけない。昔、人生観の話を聞いたら、人に言うことで無いと逃げたが、実際はどういう心境か。 もう死んだと思うのが良さそうだ。葬式にも顔を出さないのだから、もう頭は死んでいるんだろう。 最初の犠牲者を出した時の恩人を見送ることもしない。 子供たち。揃って、恥知らず。自分が辛かった思いはあるだろうが、その前にもっと深刻な事態があったこと、最初の犠牲者に思いやることを何も出来ないのだから、どうしようもない連中だ。救われない。 心が通う以前に自分の成り立ちを理解していなければ、正しい明日は来ない。ばらばらのままか。

生家の父親

寅年生まれの男は長男ではなかったが、長兄が他界する中で生家を継ぐことになる。 京都に出ていて、急遽、家に戻されたのだろう。 戦争に出て生きて帰ってきたのだが、弾丸を受けたのだから一つ間違うと命を落としていた。 戦争で手が不自由になったことが、この人の言い分けだ。 生家を何とかしようとも考えていない。勝手に東京へ出て道が開けるならまだ良いが、只の夜逃げじゃないか。子供たちに大きな犠牲を強いておいて、何も言わない。止むを得ない事情なら、事情を言うべきだ。 ※ 出稼ぎなんて安直な無責任な方法が先ずいけない。 長男は中学を上がったら直ぐに大工を手伝わせるべきだ。家業なんだから。 次男も同じ。長女も同じ。木工の内作はできる。 家を固めて、力を合わせてやるべきだ。 ※ 生家は父親のミスリードで全てを失ってしまった。兄弟のファミリーが広がってしかるべきだが、そういうものは何もない。 馬鹿な父親だ。手を怪我したのなら、木工とか内作でやるしかない。東京なんかへ出たら何も出来ない。サラリーマンならまだしも、稼業があって地場を離れるものか。 ※ 父親の一番苦しいとき、手の怪我をまだ克服できないときに、最も頑張らなければいけなかった長男のふがいなさが最大の要因。長男は一家を背負う気概もなく、一生お荷物になってしまった。 長男の我侭を許したのは母親かもしれない。母親の懐に逃げ込んで、ずっとそのままだ。 父親が家を空けているからそうなったのだろう。薄情ものなのだ。 こういう馬鹿親子の犠牲に先ずなったのが、四男。もっとも酷いやりかただ。捨てたのと同じだから。次男も三男もやがて犠牲になって行った。 五男は愚かだったし、適切な導き手がいなかった。 ※ 四男が高校に入るときに、父親は奨学金の援助も拒否してきた。生家没落の最初の犠牲者に、何のかんがいもなく拒絶。こいつは親か。 ※ 父親は本当に薄情ものだ。家族のイベントがあっても殆ど声を掛けてこない。子供の家で大事があっても出てこない。薄情なのだ。これが全ての要因の出発点かもしれない。相手のことを何とも思わないのだ。 東久留米の姉さんが生家を嫌になって当然でしょう。 ※

生家の五男

末っ子。 子供の頃は愚かだった。只の甘えん坊。我侭いっぱい。それでも、小学校の低学年で東京へ転校したから、余計な苦労をしただろう。 末っ子の頃は家計は落ち着いていて、進学は出来たのに、理屈をつけて勉学を拒否した。本当に馬鹿なんだ。手に職を持つといっても資格もなくて仕事は出来ない。 結局、普通の勤め人にもなれず、今は不出来の長男を手伝っている。父親の年金を当てにずっと居候しているんだ。 「はな子」が四男を引き受けてくれなければ、五男は世の中に存在できたかどうかも分からない。

生家の三男

失踪中。 中学を上がると同時に上京。大工の仕事を手伝う。何年? 理髪師・美容師を目指す。挫折。理由は知らない。 アパレルの営業。これは長い。 携帯電話の事業に首を突っ込む。平成電電だったか。経済の根拠を失ったかもしれない。前後は分からないが借金して家を買った。これの始末は失敗したのではないか。個人破産を先にやれば失踪しなくて済んだのに。 相談できる雰囲気も無かったのか。 兎に角、一番良く遊んだのが三男だ。

生家の長女

長女は只一人の女性。母親を助けて家事をやる一方、中学を上がると直ぐに働きに出たが、何処にでもいる女工の類だから稼ぎも知れている。続いたかどうかも怪しい。 都に出てからは、都関係のどこかの職員にもぐりこんで、どうにか生きるすべを得た。結婚の話は出たりもしたが、家の状況を見て諦めざるを得なかったのではないか。 運命を受け入れて、その中で最善を尽くす。そんな感じだ。母親がなくなった後も、家事を続ける。 両親は、子供たちを何処までも食い物にしている。今も尚です。でも、長女はちゃっかりマンションを買って老後に備えている。既に60代後半。 長女は常識人に近いから、葬儀にも顔を出す。

生家の長男

長男は自立する気配は無かった。子供の頃に自分の書いた絵が天皇陛下に褒められたのが逆に仇になった。かすかな記憶だが、赤い朱印が押されたのを見たように思う。その誇りが進学も儘なら無い中、仕事に付くこともしないで、絵を描いていた。兄弟の犠牲を踏み台にして趣味をやっているんだ。 故郷を夜逃げ同然で出て行く時の長男の年齢は既に24歳。母親に甘えるだけで、今で言えば精神的な病気になっていた。いつしかカメラの万引きに手を染める。質屋にながして小遣いを得る。絵の誇りはカメラ好きに変わり、万引きを卒業して、漸く結婚式場の写真撮影のアルバイトにありつく。写真からビデオへと移って少しはキャッシュを手に出来るようになる。 長男が40歳を越えた頃、頼りの母親は命を引き取る。自立への圧力たかり、生活力が出来たかというとそうではない。実質的に父親の世話になっている。 長男も、既に70歳を過ぎて、今は都へ生活保護の申請をしている。 子供の頃は一番えらかったし、自分だけ専用の部屋を貰っていたし、王様だった。何故、堕落した人生を進めたのかは知らない。誰もかも踏み台にして、自分のことしか考えない。 この男は日頃から感謝も何も無い。犠牲になった弟を思いやることも出来ない。弟を預かった先に感謝を述べることも無い。 その恩人が亡くなっても、悔やみ一つも言えない。 こんな男を生かすために、弟は犠牲になったの?。馬鹿げている。

生家の次男

生家は、次男も苦労した。 高校へ進学したのに、学費が続かないということで退学を余儀なくされた。だったら最初からダメというか、アルバイトしてでも最後まで頑張るか。まだ少年。新聞配達では高が知れている。親が費用を出すしかない。悔しい思いをしたにちがいない。 退学して、しばらくは名古屋に行った。親爺の仕事を手伝う形だ。一度だけ、名古屋へ行った事がある。次男は懐かしく思って顔を出してくれたのに、うっかりしていたら帰ってしまった。寂しい思いをさせたかもしれない。 弟が犠牲になっても自分が助かったとは認識できなかっただろう。親と引き離される苦しみは想像もできなかったろうから。 東京へ移っても最初は父親を手伝っていたが、そのうちに面倒見てくれる棟梁がいて、父親から離れることが出来た。25歳になった頃には結婚も出来た。独学で建築士の資格も取った。変な宗教に関わったこともあるが、なんとか一家を構えて自立した。 その後のことは分からない。妻になった人が生家との付き合いを嫌うから、自然行き来がなくなった。理解は出来るが、それでは済まされないこともある。恥ずかしくて親戚の前に出せないということらしい。だから付き合いは最低限にしたいと。まだ発想が幼いね。 問題は妻だけか。妻が見栄っ張りなら、逆に安心かも。 それでも次男を褒めることはできない。 弟が真っ先に家の犠牲者になったこと、その時に手助けしてくれたのが「はな子」と言う事を、忘れている。嫌な過去と一緒に。百パーセント自分で頑張ったと思いたいのだろう。 浅はかだ。一番、しっかりしているはずの次男が、実際、一番しっかりしていたのだけど、その次男でさえ自分を助けてくれた存在に思いをはせる気持ちが無いのは残念だ。その程度でしかなかったのか。 ※ 恩人への感謝も忘れて恥を知れと手紙を書いたら、香典を送ってきた。しかし、妻なる人からいやみの電話を入れてくる始末。そんなもの出したくないけど兎に角送ったと言うのだから受け取ることは出来ない。心の無い香典で「はな子」の怒りを買う前に送り返した。 次男は、家の中に犠牲になった存在があったということすら認識することすら出来ないのだろう。愚かだ。だから、妻の愚かさにも何も出来ない。可愛そうに、きっと今でも心に傷を彼なりに抱えているのだろう。

生家

葬儀で思った。生家の人たち。まともに葬儀に顔を出す人は一人もいない。全くの赤の他人が無くなったとしか思っていないのだろう。「恩を仇で返す」ようなもの。 昭和20年代の生家は完全に行き詰っていた。多くの子供がいるのに稼ぎが殆ど無い。馬鹿な主は食い扶持を減らせれば子供を外に出すのをなんとも思わなかった。嫌、家族を救うために犠牲者を作っても構わないと思ったのだろう。 生家から一人の子供が外に出された。子供は十字架を打ち付けられたように生きて行くしかなかった。 生家は犠牲者を出したが、それでもぎりぎりの生活は続いた。主は太平洋側の大都市への出稼ぎを続けた。運よく残った子供たちも決して楽ではなかったが、それでも犠牲者を新たに出さないで済んだ。かろうじて子供たちは学齢期を終えることが出来た。一人ひとりが働き手になって行くことで生家の危機は回避できた。その間、家は故郷の町を捨てて、東京の下町に移り住んでいた。 兄弟の一人を犠牲にしているにも関わらず、生家の人間は自分のことしか考えていない。というより自分のこともまともに考えていない。 長男は自立する気配は無かった。子供の頃に自分の書いた絵が天皇陛下に褒められたのが逆に仇になった。かすかな記憶だが、赤い朱印が押されたのを見たように思う。その誇りが進学も儘なら無い中、仕事に付くこともしないで、絵を描いていた。兄弟の犠牲を踏み台にして趣味をやっているんだ。 故郷を夜逃げ同然で出て行く時の長男の年齢は既に24歳。母親に甘えるだけで、今で言えば精神的な病気になっていた。いつしかカメラの万引きに手を染める。質屋にながして小遣いを得る。絵の誇りはカメラ好きに変わり、万引きを卒業して、漸く結婚式場の写真撮影のアルバイトにありつく。写真からビデオへと移って少しはキャッシュを手に出来るようになる。 長男が40歳を越えた頃、頼りの母親は命を引き取る。自立への圧力たかり、生活力が出来たかというとそうではない。実質的に父親の世話になっている。 長男も、既に70歳を過ぎて、今は都へ生活保護の申請をしている。 子供の頃は一番えらかったし、自分だけ専用の部屋を貰っていたし、王様だった。何故、堕落した人生を進めたのかは知らない。誰もかも踏み台にして、自分のことしか考えない。 この男は日頃から感謝も何も無い。犠牲になった弟を思いやることも出来ない。弟を預かった先に感謝を述べることも無い。 その恩人が亡くなっても、悔やみ一つも言えない。 こんな男を生かすために、弟は犠牲になったの。馬鹿げている。

書留郵便の受け取り拒否

泰義名で届いた現金書留を送り返す。受け取り拒否にした。6月14日?

前日、ヤスコ義姉から、電話が入る。今まで、無視していたけど、手紙を貰ったから、嫌々だけど香典を送ると。

これは、持参なんかする腹は全く無いし、仏前に手を合わせることもするきは無いことの意思表示。だから、形だけ書留で送って済ますものだが、その香典にしても出したくないと言っている。

全く、馬鹿にしている。そんな心の入っていないもの受け取れますか。

郵便やは、珍しいので驚いたが、それくらい不誠実な態度だ。泰義に電話することはあっても、向こうからは電話の一つも無い。

はな子の遺言を翻すことになるが、泰義に家督なんか継げる訳なかったんだ。最初から、根性が捻じ曲がっている。



後、香典返しを贈ったら、黙って受け取っている。

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