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生家の父親

寅年生まれの男は長男ではなかったが、長兄が他界する中で生家を継ぐことになる。 京都に出ていて、急遽、家に戻されたのだろう。 戦争に出て生きて帰ってきたのだが、弾丸を受けたのだから一つ間違うと命を落としていた。 戦争で手が不自由になったことが、この人の言い分けだ。 生家を何とかしようとも考えていない。勝手に東京へ出て道が開けるならまだ良いが、只の夜逃げじゃないか。子供たちに大きな犠牲を強いておいて、何も言わない。止むを得ない事情なら、事情を言うべきだ。 ※ 出稼ぎなんて安直な無責任な方法が先ずいけない。 長男は中学を上がったら直ぐに大工を手伝わせるべきだ。家業なんだから。 次男も同じ。長女も同じ。木工の内作はできる。 家を固めて、力を合わせてやるべきだ。 ※ 生家は父親のミスリードで全てを失ってしまった。兄弟のファミリーが広がってしかるべきだが、そういうものは何もない。 馬鹿な父親だ。手を怪我したのなら、木工とか内作でやるしかない。東京なんかへ出たら何も出来ない。サラリーマンならまだしも、稼業があって地場を離れるものか。 ※ 父親の一番苦しいとき、手の怪我をまだ克服できないときに、最も頑張らなければいけなかった長男のふがいなさが最大の要因。長男は一家を背負う気概もなく、一生お荷物になってしまった。 長男の我侭を許したのは母親かもしれない。母親の懐に逃げ込んで、ずっとそのままだ。 父親が家を空けているからそうなったのだろう。薄情ものなのだ。 こういう馬鹿親子の犠牲に先ずなったのが、四男。もっとも酷いやりかただ。捨てたのと同じだから。次男も三男もやがて犠牲になって行った。 五男は愚かだったし、適切な導き手がいなかった。 ※ 四男が高校に入るときに、父親は奨学金の援助も拒否してきた。生家没落の最初の犠牲者に、何のかんがいもなく拒絶。こいつは親か。 ※ 父親は本当に薄情ものだ。家族のイベントがあっても殆ど声を掛けてこない。子供の家で大事があっても出てこない。薄情なのだ。これが全ての要因の出発点かもしれない。相手のことを何とも思わないのだ。 東久留米の姉さんが生家を嫌になって当然でしょう。 ※

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