生家の次男
生家は、次男も苦労した。
高校へ進学したのに、学費が続かないということで退学を余儀なくされた。だったら最初からダメというか、アルバイトしてでも最後まで頑張るか。まだ少年。新聞配達では高が知れている。親が費用を出すしかない。悔しい思いをしたにちがいない。
退学して、しばらくは名古屋に行った。親爺の仕事を手伝う形だ。一度だけ、名古屋へ行った事がある。次男は懐かしく思って顔を出してくれたのに、うっかりしていたら帰ってしまった。寂しい思いをさせたかもしれない。
弟が犠牲になっても自分が助かったとは認識できなかっただろう。親と引き離される苦しみは想像もできなかったろうから。
東京へ移っても最初は父親を手伝っていたが、そのうちに面倒見てくれる棟梁がいて、父親から離れることが出来た。25歳になった頃には結婚も出来た。独学で建築士の資格も取った。変な宗教に関わったこともあるが、なんとか一家を構えて自立した。
その後のことは分からない。妻になった人が生家との付き合いを嫌うから、自然行き来がなくなった。理解は出来るが、それでは済まされないこともある。恥ずかしくて親戚の前に出せないということらしい。だから付き合いは最低限にしたいと。まだ発想が幼いね。
問題は妻だけか。妻が見栄っ張りなら、逆に安心かも。
それでも次男を褒めることはできない。
弟が真っ先に家の犠牲者になったこと、その時に手助けしてくれたのが「はな子」と言う事を、忘れている。嫌な過去と一緒に。百パーセント自分で頑張ったと思いたいのだろう。
浅はかだ。一番、しっかりしているはずの次男が、実際、一番しっかりしていたのだけど、その次男でさえ自分を助けてくれた存在に思いをはせる気持ちが無いのは残念だ。その程度でしかなかったのか。
※
恩人への感謝も忘れて恥を知れと手紙を書いたら、香典を送ってきた。しかし、妻なる人からいやみの電話を入れてくる始末。そんなもの出したくないけど兎に角送ったと言うのだから受け取ることは出来ない。心の無い香典で「はな子」の怒りを買う前に送り返した。
次男は、家の中に犠牲になった存在があったということすら認識することすら出来ないのだろう。愚かだ。だから、妻の愚かさにも何も出来ない。可愛そうに、きっと今でも心に傷を彼なりに抱えているのだろう。
過去 30 日間
-
母の思い出に出てくる人はみんな死んでしまった 。 みんな死んでしまった 母を思い出すと一緒に思い出す人がいる。その人たちは思い出そうとすると、もうみんな死んでしまっているだろう。 / 森本のおんちゃん。森本のおばちゃん。 吉田さん。全く顔も思い出せな...
-
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...
-
写真は全く別物・イメージも違います。 茄子の入った煮もの 子供のころ。何処かの墓参りに連れられて行った。場所が思い出せない。どこからバスに乗ったかもわからない。 夏の太陽の下を、畑の道を歩いた記憶。 きっと墓参り。 墓参りの跡と思うが、家に上がって食事。...
-
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
-
亡き母への贈り物 贈り物は母の日でもいい。母の命日でもいい。母の誕生日でもいい。感謝の気持ちを表したいならいつでもいい。 生きている母に感謝を伝えることが一番だけど、いつかそれが出来なくなる。 心の母に感謝を伝えよう。 ※ 花を飾る。 美味しいものを食...
-
日曜日の連絡。それ以前から、排尿の量がどんどん減ってきていて、点滴が殆どむくみに回っていたと思うが、更に排尿が悪くなっていった。田舎からの連絡では、持って今週いっぱいの観測が看護婦さんから示されたとのこと。
-
思い出すことが供養 その人を思い出すことがその人への供養。そう思う。 その人が亡くなっていたら供養。 まだ生きていたら感謝。 誰を慰めるのか。何が未練なのか。 二度と会うことはないと思えば、恨みも怒りもない。 / 命日と誕生日と。 **
-
お盆が過ぎて、今日はとても涼しい。マル君が逝ってから丁度1週間。1週間、耐える手段があれば、今年の夏を越せたかもしれない。暑さだけが理由で無いかもしれないが、恨みが残る涼しさです。
-
美枝子姉が伝えたこと。生家の不義理に腹を立てて手紙を書いたら世間を狭くしたと返してきた。本当の意図は分からないが、状況から見て適当な言葉選びでない。 恩人の葬儀、身内の葬儀に顔も出さない、挨拶もしない連中こそ世間を狭くしている。 もっと以前に、自分の子供を外に出すことで十分に...
-
VERA PELLE ITALIANA CONCIATA AL VEGETALE No.0799965 E Minerva Box 株式会社スリップオン 渋谷区広尾1-3-15電話03-5791-3883 http://www.slip-on.co.jp * はな子さんが誕生日ま...
過去 365 日間
-
母の思い出に出てくる人はみんな死んでしまった 。 みんな死んでしまった 母を思い出すと一緒に思い出す人がいる。その人たちは思い出そうとすると、もうみんな死んでしまっているだろう。 / 森本のおんちゃん。森本のおばちゃん。 吉田さん。全く顔も思い出せな...
-
写真は全く別物・イメージも違います。 茄子の入った煮もの 子供のころ。何処かの墓参りに連れられて行った。場所が思い出せない。どこからバスに乗ったかもわからない。 夏の太陽の下を、畑の道を歩いた記憶。 きっと墓参り。 墓参りの跡と思うが、家に上がって食事。...
-
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
-
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...
-
このサイトは何時から公開の設定になっていたのかな。履歴を見ると、2年前の9月。 コンテンツには若干個人情報の類が残っている。 若干、本人の名誉を損ねない程度に修正する必要がありそうだ。 / お盆の季節になった。 今年も、思い出して、懐かしんで、感謝して、供養にします。 / はな子...
-
白いカーネーション 母の日 5月10日。 感謝が足りない。 ※ 母の日のプレゼント 。 亡き母に贈るものはなんだろう。 誰にも母はいるけど、誰もが母を失う日が来る。 分かっているのに何もしない自分が情けない。いつまでも母親を必要としている未...
-
思い出すことが供養 その人を思い出すことがその人への供養。そう思う。 その人が亡くなっていたら供養。 まだ生きていたら感謝。 誰を慰めるのか。何が未練なのか。 二度と会うことはないと思えば、恨みも怒りもない。 / 命日と誕生日と。 **
-
散歩となると、なんとか、自分の行きたい方向へ行こうと、いつもチャンスを窺っているようで、リードの緩め方で、ダッシュが始まる。気の向かない方向だと、嫌々をする。 ある程度、行ってしまえば、あまり抵抗しなくなる。 疲れてくると、今度は帰りの方向に向かう。ところが、マルが帰る方向と思っ...
-
カレンダーに外出の予定を記録していた。マル君の面倒が見れないから、日程を組むときに配慮してもらおうとの算段だった。お散歩を一定のインターバルでやらないとマルが困るから。でも、もう、その必要が無くなった。寂しいけど。
-
8月8日。マルが呼吸を止めて家の中の空気はその瞬間に張りついたままだが、世間のときの刻みは止まらない。
Popular Posts
-
写真は全く別物・イメージも違います。 茄子の入った煮もの 子供のころ。何処かの墓参りに連れられて行った。場所が思い出せない。どこからバスに乗ったかもわからない。 夏の太陽の下を、畑の道を歩いた記憶。 きっと墓参り。 墓参りの跡と思うが、家に上がって食事。...
-
母の思い出に出てくる人はみんな死んでしまった 。 みんな死んでしまった 母を思い出すと一緒に思い出す人がいる。その人たちは思い出そうとすると、もうみんな死んでしまっているだろう。 / 森本のおんちゃん。森本のおばちゃん。 吉田さん。全く顔も思い出せな...
-
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
-
白いカーネーション 母の日 5月10日。 感謝が足りない。 ※ 母の日のプレゼント 。 亡き母に贈るものはなんだろう。 誰にも母はいるけど、誰もが母を失う日が来る。 分かっているのに何もしない自分が情けない。いつまでも母親を必要としている未...
-
亡き母への贈り物 贈り物は母の日でもいい。母の命日でもいい。母の誕生日でもいい。感謝の気持ちを表したいならいつでもいい。 生きている母に感謝を伝えることが一番だけど、いつかそれが出来なくなる。 心の母に感謝を伝えよう。 ※ 花を飾る。 美味しいものを食...
-
はな子の一周忌 1年は早い。まあ、1年は1年でしかないけど。墓はまだ作っていないが、また法事の季節。福井へ帰ってやるのも一つだが、実はあまり付き合いたくない正善寺の世話になるのは避けたかった。福井で正善寺以外でやるとややこしい。こちらはそんな気はないが、向こうは檀家だと思ってい...
-
思い出すことが供養 その人を思い出すことがその人への供養。そう思う。 その人が亡くなっていたら供養。 まだ生きていたら感謝。 誰を慰めるのか。何が未練なのか。 二度と会うことはないと思えば、恨みも怒りもない。 / 命日と誕生日と。 **
-
還暦を迎えて 還暦の日、家人も子供も何も言ってこない。今までの誕生日だって殆ど無視されている。家人が音頭を取るようなことも子どもが気遣いをすることもない。 自分が親の還暦に何かしたことも無い。だから「鏡の法則」だね。自分で理由をつけて親を祝うことを拒否してきたのだろう。何せ、親は...
-
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...
-
このサイトは何時から公開の設定になっていたのかな。履歴を見ると、2年前の9月。 コンテンツには若干個人情報の類が残っている。 若干、本人の名誉を損ねない程度に修正する必要がありそうだ。 / お盆の季節になった。 今年も、思い出して、懐かしんで、感謝して、供養にします。 / はな子...