白い花
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喪家(そうけ)の行い
死者を出した家。西日本ではモケと読むことも。東日本では葬家と書いてソウケと読むこともある。確かに、喪家と書いてソウケとはなかなか読めない。
「喪家のなすこと」
危篤の段階
臨終の段階
葬儀の準備
通夜
葬儀・告別式
火葬
精進落とし
葬儀の後
危篤:
危篤状態になったら、最後のコミュニケーションの機会が取れるように、あるいは臨終に立ち会えるように、近親者の招集をかける。必ずしも親族に限らない。近頃は前もって死期の推定が出来ることも多いので、早めの連絡が可能だが、本人に返って不安を与えるようではいけない。
臨終:
清め式
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過去 30 日間
秩父まで墓参り
基本的に、母けさをだけが眠っている秩父の墓に参ってきた。盆提灯が出ていたので、蝋燭をつけて灯りを取る。線香をたいて。お菓子を置いた。その前に墓石を洗って。誰かの線香を掃除して。水をたっぷりかけて。 けさをさんに頼んだのは、今年は悲しいことが多い。あの世に呼ぶのは一息付いて暫くそっ...
マル君、長い間、家族で居てくれて有り難う
マル君、 今日まで長い間、家族で居てくれて有り難う。子は鎹(かすがい)と言うけど、マル君ほど家族の鎹になってくれたものはいない。疑う心も、隠し事も、濁ったものは何も無い。マル君、君こそが、家族のことを思っていてくれた。 命を引き取ったのはとても辛い。君の声も仕草も佇まいも何もない...
お袋の夢を見る
久しぶりにお袋の夢をみた。霞町の家に戻ると、いきなりだったらしく驚いてお袋が振り向く。なかなか重くて荷物が動かせないと言う。
誕生
はな子が生まれたのは、大正6年9月3日。巳年である。蛇年である。越前福井の山間にある20軒ほどの小さな村である。「甚作」と「まつ」の夫婦の最初の子として生まれ、はな子の後に長男の甚吉、次女の栄子が続いた。 《 大正6年 》
(タイトルなし)
マルが去ってから、急に涼しくなった。あの暑さは何だったのかと思わせるくらい。オリンピックが始まる日にマルは死んだ。 マルの居ない悲しさが不意に自分を襲う。 マルは何だったろうかと思う。 マルは子供らの代理をしていたのかもしれない。子供らしさを失って行った彼らの代理で、夫婦の情愛を...
(タイトルなし)
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
白いカーネーション
白いカーネーション 母の日 5月10日。 感謝が足りない。 ※ 母の日のプレゼント 。 亡き母に贈るものはなんだろう。 誰にも母はいるけど、誰もが母を失う日が来る。 分かっているのに何もしない自分が情けない。いつまでも母親を必要としている未...
泰義に要求する"けじめ"
泰義殿の不義理・無礼に対しては以下のことが”けじめ”として必要になる。 「はな子」霊前へのお参り。仏壇及びお墓。 御香典及び御霊前の手持ち・お供え。 危篤・逝去に際して無視し続けたことの説明。 上記適わない場合は、遺骨・位牌を持って西東京・東久留米宅または他の場所へ出向いて、適切...
結局、自分もここに入るんだ。
結局、自分もここに入るんだ。 昨日、60歳になった。還暦。 DMだけが誕生日を知っていた。よくあることだ。女帝は遅くまで仕事。仕事が大事とか。 一つの区切りだから電気釜を買った。もう大分前から”ぼろぼろ”と文句つけられていて気になっていたもの。でも、有り難うはなかった。それより、...
転落事故
「はな子」がまだ子供のころ、農作の手伝いをしていて、稲を干すハサバ、これは竹で組んだ背の高い垣根と言ったものだが、どうもここから落ちたらしい。詳しいことは聞けなかったが、この時に頭部に外傷を負い、内部も少し痛めたようだ。これが、10歳の時とすると、1927年頃の話と言うことになる...
過去 365 日間
誕生
はな子が生まれたのは、大正6年9月3日。巳年である。蛇年である。越前福井の山間にある20軒ほどの小さな村である。「甚作」と「まつ」の夫婦の最初の子として生まれ、はな子の後に長男の甚吉、次女の栄子が続いた。 《 大正6年 》
(タイトルなし)
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
お袋様の手作り料理:大根の煮たの
検索すると色々並ぶが秘伝(?)のものは見当たらない。誰もあの味を知らない訳だ。おとましいね。 大根の煮たの 料理なんて言うと笑われそうだけど。体にしみ込んだ味は他のものでは替えようがない。 親父様の食事も一緒に思い出される。 大根の煮たの: 短...
亡き母への贈り物
亡き母への贈り物 贈り物は母の日でもいい。母の命日でもいい。母の誕生日でもいい。感謝の気持ちを表したいならいつでもいい。 生きている母に感謝を伝えることが一番だけど、いつかそれが出来なくなる。 心の母に感謝を伝えよう。 ※ 花を飾る。 美味しいものを食...
還暦を迎えて
還暦を迎えて 還暦の日、家人も子供も何も言ってこない。今までの誕生日だって殆ど無視されている。家人が音頭を取るようなことも子どもが気遣いをすることもない。 自分が親の還暦に何かしたことも無い。だから「鏡の法則」だね。自分で理由をつけて親を祝うことを拒否してきたのだろう。何せ、親は...
バス中での転倒事故
「はな子」は既にいい年になっていたこともあっただろうが、バスに乗っていて転倒事故を起こした。バス会原因がバスの運転にあるかないかは分からないが、バス会社からは何の挨拶も無かった。 兎に角、入院先へ家人に介護に出てもらうだけで頭がいっぱいになっていたようで、原因も本人の病気という判...
生家の次男
生家は、次男も苦労した。 高校へ進学したのに、学費が続かないということで退学を余儀なくされた。だったら最初からダメというか、アルバイトしてでも最後まで頑張るか。まだ少年。新聞配達では高が知れている。親が費用を出すしかない。悔しい思いをしたにちがいない。 退学して、しばらくは名...
また金曜日が来た
また金曜日が来た。 マルが逝ってから、3週間。もう随分と経過したように思って、まだ3週間しか経っていない。 不思議だね。未来を描くときは、其処にはいつもマルが居る前提だったな。 マルが居ないと未来まで無くなったみたいで。 老後も、傍にはマルがいると思っていた。
書留郵便の受け取り拒否
泰義名で届いた現金書留を送り返す。受け取り拒否にした。6月14日? 前日、ヤスコ義姉から、電話が入る。今まで、無視していたけど、手紙を貰ったから、嫌々だけど香典を送ると。 これは、持参なんかする腹は全く無いし、仏前に手を合わせることもするきは無いことの意思表示。だから、形だけ書留...
霞町の家
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...
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墓参りの記憶の茄子の煮もの
写真は全く別物・イメージも違います。 茄子の入った煮もの 子供のころ。何処かの墓参りに連れられて行った。場所が思い出せない。どこからバスに乗ったかもわからない。 夏の太陽の下を、畑の道を歩いた記憶。 きっと墓参り。 墓参りの跡と思うが、家に上がって食事。...
みんな死んでしまった
母の思い出に出てくる人はみんな死んでしまった 。 みんな死んでしまった 母を思い出すと一緒に思い出す人がいる。その人たちは思い出そうとすると、もうみんな死んでしまっているだろう。 / 森本のおんちゃん。森本のおばちゃん。 吉田さん。全く顔も思い出せな...
(タイトルなし)
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
亡き母への贈り物
亡き母への贈り物 贈り物は母の日でもいい。母の命日でもいい。母の誕生日でもいい。感謝の気持ちを表したいならいつでもいい。 生きている母に感謝を伝えることが一番だけど、いつかそれが出来なくなる。 心の母に感謝を伝えよう。 ※ 花を飾る。 美味しいものを食...
白いカーネーション
白いカーネーション 母の日 5月10日。 感謝が足りない。 ※ 母の日のプレゼント 。 亡き母に贈るものはなんだろう。 誰にも母はいるけど、誰もが母を失う日が来る。 分かっているのに何もしない自分が情けない。いつまでも母親を必要としている未...
はな子の一周忌
はな子の一周忌 1年は早い。まあ、1年は1年でしかないけど。墓はまだ作っていないが、また法事の季節。福井へ帰ってやるのも一つだが、実はあまり付き合いたくない正善寺の世話になるのは避けたかった。福井で正善寺以外でやるとややこしい。こちらはそんな気はないが、向こうは檀家だと思ってい...
誕生
はな子が生まれたのは、大正6年9月3日。巳年である。蛇年である。越前福井の山間にある20軒ほどの小さな村である。「甚作」と「まつ」の夫婦の最初の子として生まれ、はな子の後に長男の甚吉、次女の栄子が続いた。 《 大正6年 》
思い出すことが供養
思い出すことが供養 その人を思い出すことがその人への供養。そう思う。 その人が亡くなっていたら供養。 まだ生きていたら感謝。 誰を慰めるのか。何が未練なのか。 二度と会うことはないと思えば、恨みも怒りもない。 / 命日と誕生日と。 **
還暦を迎えて
還暦を迎えて 還暦の日、家人も子供も何も言ってこない。今までの誕生日だって殆ど無視されている。家人が音頭を取るようなことも子どもが気遣いをすることもない。 自分が親の還暦に何かしたことも無い。だから「鏡の法則」だね。自分で理由をつけて親を祝うことを拒否してきたのだろう。何せ、親は...
霞町の家
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...