泰義の妻
泰義の妻ヤスコは最初は気立ての良い人だった。常識もわきまえていた様に思う。今思えば、泰義に惹かれての結婚だったのだろう。本当に可愛い新婚さんだった。 生家の状況を知るようになって、ヤスコは徐々に生家と距離を置くようになった。泰義は聡明だから早々と寅雄から離れていたことも、客観的に物を見ることができた要因だったろう。生家の人間のある意味でのだらしなさ・ふがいなさは、所謂親戚付き合いを躊躇わせるに十分だった。
まともな職業についているのは、手に職をもった泰義一人だったから。敏夫はごろごろしていて漸く結婚式とか家族のイベントの写真とかビデオとかを撮影して編集して納める仕事をするようになったが、安定した仕事ではない。
政行も結局定職が身に付かず、遂には敏夫の手伝いに納まっている。
英雄は学歴は無くても頑張りで普通にサラリーマンに近いことをやっていたが、転職に失敗して、挙句借金までこさえて、失踪の憂き目に遭っている。
寅雄は耳の遠いことも手伝って、それに言葉が立つわけでもなく、人前に出しにくい状況。子供らがそういう扱いをしていることの方が問題で、けさをが見たら悲しむだろう。
美枝子は常識は持ち合わせているが、結局家族のために結婚もしないで時を過ごしすぎた。
こういう連中を親戚縁者の集まりに呼ぶのは、人間が小さいヤスコには耐えられなかったのだろう。
過去 30 日間
-
「心の張り」って良く聞くが、マルが亡くなって2日目。どういうものだろう。何もやる気がしない。何かしても気が入らない。マルのケアといっても大層なことをしていた訳でも無いのに。いつも気に掛けていただけなのに。 でも、考えれば、生活の全てにマルがいた。生活のリズムそのものがマルをベース...
-
はな子が生まれたのは、大正6年9月3日。巳年である。蛇年である。越前福井の山間にある20軒ほどの小さな村である。「甚作」と「まつ」の夫婦の最初の子として生まれ、はな子の後に長男の甚吉、次女の栄子が続いた。 《 大正6年 》
-
また金曜日が来た。 マルが逝ってから、3週間。もう随分と経過したように思って、まだ3週間しか経っていない。 不思議だね。未来を描くときは、其処にはいつもマルが居る前提だったな。 マルが居ないと未来まで無くなったみたいで。 老後も、傍にはマルがいると思っていた。
-
「はな子」は既にいい年になっていたこともあっただろうが、バスに乗っていて転倒事故を起こした。バス会原因がバスの運転にあるかないかは分からないが、バス会社からは何の挨拶も無かった。 兎に角、入院先へ家人に介護に出てもらうだけで頭がいっぱいになっていたようで、原因も本人の病気という判...
-
長女は只一人の女性。母親を助けて家事をやる一方、中学を上がると直ぐに働きに出たが、何処にでもいる女工の類だから稼ぎも知れている。続いたかどうかも怪しい。 都に出てからは、都関係のどこかの職員にもぐりこんで、どうにか生きるすべを得た。結婚の話は出たりもしたが、家の状況を見て諦めざ...
-
美枝子姉が口にした「世間を狭くした」だが、繰り返すことになるが、生家そのものだろう。 ・家督を継いだ寅雄は家に落ち着かず、出稼ぎ稼業。 ・長男敏夫はぶらぶらしているだけ。田舎では顰蹙ものだろうね。 ・四男を里子に出してしまう。無責任。そのくせ、五男を儲けている。無責任の上塗り。...
-
生家は、次男も苦労した。 高校へ進学したのに、学費が続かないということで退学を余儀なくされた。だったら最初からダメというか、アルバイトしてでも最後まで頑張るか。まだ少年。新聞配達では高が知れている。親が費用を出すしかない。悔しい思いをしたにちがいない。 退学して、しばらくは名...
-
還暦を迎えて 還暦の日、家人も子供も何も言ってこない。今までの誕生日だって殆ど無視されている。家人が音頭を取るようなことも子どもが気遣いをすることもない。 自分が親の還暦に何かしたことも無い。だから「鏡の法則」だね。自分で理由をつけて親を祝うことを拒否してきたのだろう。何せ、親は...
-
亡き母への贈り物 贈り物は母の日でもいい。母の命日でもいい。母の誕生日でもいい。感謝の気持ちを表したいならいつでもいい。 生きている母に感謝を伝えることが一番だけど、いつかそれが出来なくなる。 心の母に感謝を伝えよう。 ※ 花を飾る。 美味しいものを食...
-
ヨックモックの「ドゥーブルジュレ」の詰め合わせ。長野東急から逐語に先に送る。楽天だとこの商品はながの東急のみの扱い。 1箱3150円。 自分用にもと計10箱を手配。
過去 365 日間
-
お袋が弱って先がおぼつかなくなってきていたころのこと。 親父から電話が入った。 孫の顔を見せろと言うのだ。結構強い調子だった。 お袋が会いたがっていたからに違いない。 狭い部屋に不釣り合いなベッドが置かれていた。もう布団の上げ下げもできない。 ベッドの...
-
本願寺に納骨に行くには、お寺の証明書みたいなものが必要になる。住職さんが忌明けの時に、署名捺印したものを渡してくれた。 京都には何時行くことになるかな。 住職さんが言うには、「お布施は2万円以上してください」とのこと。正善寺さんに出した忌明けのお布施が2万円だったから、それを下回...
-
ヨックモックの「ドゥーブルジュレ」の詰め合わせ。長野東急から逐語に先に送る。楽天だとこの商品はながの東急のみの扱い。 1箱3150円。 自分用にもと計10箱を手配。
-
「心の張り」って良く聞くが、マルが亡くなって2日目。どういうものだろう。何もやる気がしない。何かしても気が入らない。マルのケアといっても大層なことをしていた訳でも無いのに。いつも気に掛けていただけなのに。 でも、考えれば、生活の全てにマルがいた。生活のリズムそのものがマルをベース...
-
生家は、次男も苦労した。 高校へ進学したのに、学費が続かないということで退学を余儀なくされた。だったら最初からダメというか、アルバイトしてでも最後まで頑張るか。まだ少年。新聞配達では高が知れている。親が費用を出すしかない。悔しい思いをしたにちがいない。 退学して、しばらくは名...
-
はな子が生まれたのは、大正6年9月3日。巳年である。蛇年である。越前福井の山間にある20軒ほどの小さな村である。「甚作」と「まつ」の夫婦の最初の子として生まれ、はな子の後に長男の甚吉、次女の栄子が続いた。 《 大正6年 》
-
また金曜日が来た。 マルが逝ってから、3週間。もう随分と経過したように思って、まだ3週間しか経っていない。 不思議だね。未来を描くときは、其処にはいつもマルが居る前提だったな。 マルが居ないと未来まで無くなったみたいで。 老後も、傍にはマルがいると思っていた。
-
「はな子」は既にいい年になっていたこともあっただろうが、バスに乗っていて転倒事故を起こした。バス会原因がバスの運転にあるかないかは分からないが、バス会社からは何の挨拶も無かった。 兎に角、入院先へ家人に介護に出てもらうだけで頭がいっぱいになっていたようで、原因も本人の病気という判...
-
長女は只一人の女性。母親を助けて家事をやる一方、中学を上がると直ぐに働きに出たが、何処にでもいる女工の類だから稼ぎも知れている。続いたかどうかも怪しい。 都に出てからは、都関係のどこかの職員にもぐりこんで、どうにか生きるすべを得た。結婚の話は出たりもしたが、家の状況を見て諦めざ...
-
美枝子姉が口にした「世間を狭くした」だが、繰り返すことになるが、生家そのものだろう。 ・家督を継いだ寅雄は家に落ち着かず、出稼ぎ稼業。 ・長男敏夫はぶらぶらしているだけ。田舎では顰蹙ものだろうね。 ・四男を里子に出してしまう。無責任。そのくせ、五男を儲けている。無責任の上塗り。...
Popular Posts
-
写真は全く別物・イメージも違います。 茄子の入った煮もの 子供のころ。何処かの墓参りに連れられて行った。場所が思い出せない。どこからバスに乗ったかもわからない。 夏の太陽の下を、畑の道を歩いた記憶。 きっと墓参り。 墓参りの跡と思うが、家に上がって食事。...
-
母の思い出に出てくる人はみんな死んでしまった 。 みんな死んでしまった 母を思い出すと一緒に思い出す人がいる。その人たちは思い出そうとすると、もうみんな死んでしまっているだろう。 / 森本のおんちゃん。森本のおばちゃん。 吉田さん。全く顔も思い出せな...
-
今にして思えば、すごい立派な人だったかもしれない。 強い人だったかもしれない。 / 受けた恩に何も報いることが出来なかった。 己の不甲斐なさに呆れる。 / ゆうきが金を盗んで、逃げるように帰ってしまったことも、後悔してもしきれない。 自由気ままな...
-
亡き母への贈り物 贈り物は母の日でもいい。母の命日でもいい。母の誕生日でもいい。感謝の気持ちを表したいならいつでもいい。 生きている母に感謝を伝えることが一番だけど、いつかそれが出来なくなる。 心の母に感謝を伝えよう。 ※ 花を飾る。 美味しいものを食...
-
白いカーネーション 母の日 5月10日。 感謝が足りない。 ※ 母の日のプレゼント 。 亡き母に贈るものはなんだろう。 誰にも母はいるけど、誰もが母を失う日が来る。 分かっているのに何もしない自分が情けない。いつまでも母親を必要としている未...
-
はな子の一周忌 1年は早い。まあ、1年は1年でしかないけど。墓はまだ作っていないが、また法事の季節。福井へ帰ってやるのも一つだが、実はあまり付き合いたくない正善寺の世話になるのは避けたかった。福井で正善寺以外でやるとややこしい。こちらはそんな気はないが、向こうは檀家だと思ってい...
-
思い出すことが供養 その人を思い出すことがその人への供養。そう思う。 その人が亡くなっていたら供養。 まだ生きていたら感謝。 誰を慰めるのか。何が未練なのか。 二度と会うことはないと思えば、恨みも怒りもない。 / 命日と誕生日と。 **
-
還暦を迎えて 還暦の日、家人も子供も何も言ってこない。今までの誕生日だって殆ど無視されている。家人が音頭を取るようなことも子どもが気遣いをすることもない。 自分が親の還暦に何かしたことも無い。だから「鏡の法則」だね。自分で理由をつけて親を祝うことを拒否してきたのだろう。何せ、親は...
-
霞町の家は甚吉が建てたものである。その頃の年齢は分からないが、大工の棟梁と言うよりは見習いに近い頃の仕事ではなかったろうか。 震災で廃材になったものなども利用したのではなかっただろうか。粗末な半2階建てくらいの作りであったが、当時の友治・はな子夫婦には十分なものだっただろう。 福...
-
お袋が弱って先がおぼつかなくなってきていたころのこと。 親父から電話が入った。 孫の顔を見せろと言うのだ。結構強い調子だった。 お袋が会いたがっていたからに違いない。 狭い部屋に不釣り合いなベッドが置かれていた。もう布団の上げ下げもできない。 ベッドの...