基本的に、母けさをだけが眠っている秩父の墓に参ってきた。盆提灯が出ていたので、蝋燭をつけて灯りを取る。線香をたいて。お菓子を置いた。その前に墓石を洗って。誰かの線香を掃除して。水をたっぷりかけて。
けさをさんに頼んだのは、今年は悲しいことが多い。あの世に呼ぶのは一息付いて暫くそっとしとくれ。あの世に逝ったはな子さんと愛犬マル君を宜しく頼むと。
帰りは急に天気もおかしくなってさっさと引き上げるが、詰まらない渋滞もあって本当に疲れた。お袋さんからまだ帰るなと言ってきたのかな。
池袋は来ていなかったが、メールでは入れ違いだったみたいだ。30分ぐらい後に来たのではないかな。愚かな、泰義は出くわしたら文句でも言ってやろうかと思ったが、姿無し。
けさをさん、親として責任もって泰義に言ってやってくれ。親の仕事を唯一引き継いだのに恩返しも何もしないで、でしゃばり女の尻に引かれて、本当に恥知らずもいいところ。
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